人生とは自己選択の連続である
皆さんおはようございます。
作業療法士のむーです。
今日は『人生とは』といったお話。
人は何のために生きるのか。
人は誰のために生きるのか。
人は何をして生きるのか。
人はどこで生きるのか。
人は誰と生きるのか。
こんなことを思ったことはないでしょうか?
この答えは○○です。と私からお伝えすることは出来ません。
何故なら、この答えは人間一人ひとりが自分で選んでいいからです。
自分で決めていいからです。
これは老若男女問わずです。
人生は自己選択の連続です。
例えば仕事。
・何の仕事に就きたいか
・仕事に就いてその枠組みの中で何をしていくのか
・それをしていく中で誰に協力を仰ぐのか
これらも自分で決めることですよね?(もちろん1人で勝手に決められないこともありますが)
例えば恋愛。
・誰と付き合うのか
・誰と結婚するのか
・それは友達の紹介なのか
・それは親の気に入った人でなきゃいけないのか
これも自分で決めていいことですよね。
上記にも関連しますが、『人間関係(友人関係)は選べる』という話も少々。
学生の頃でもいつも一緒にいる人って自分の関係性で決まっていたと思いますが、クラスなどの空間には合わない人もいたでしょう。
一方社会人になると、学生時代の人とは敢えてコンタクトを取らないと会わなくなります。
(悪い言い方をすると、会いたくない人とわざわざ会わなくて良くなるということです。笑)
気の合う仲間に限定して会うことが出来る。
誰と会いたいか、誰に会うか自分で決められるのです。
恋愛も然りです。
親が反対していて、、という話も聞きますよね。しかし誰と生きていくのかは自分で決めていいと思います。
抜け駆けしろとは言いませんが、親のお墨付きがなければ結婚出来ないのであれば、それは極端な話、昔のいい名付けレベルです。
これからの人生を共にする人は、自分で選ぶべきでしょう。
(※昔のお見合い等を否定している訳ではありません。)
ここまで様々な自己選択の話をしてきました。
今日から皆さんは何を自分で選びますか?
日々の生活での自己選択、気にしてみると少し気持ちが自由になるかもしれません。
作業療法の『作業』って?
皆さんこんばんは。
私は人と向き合う仕事、作業療法士をしているむーです。(珍しく夜な夜な書いていますよ。笑)
今日は私の本職、作業療法について、作業療法の『作業』って?というお話。
業界内では『活動』なる言葉と『作業』なる言葉は使い分けられています。
まず先に『活動』とは?
例えば、【料理】という言葉を聞いた時、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
大体の方は食事を作ることと答えるでしょう。
このように、【○○】と聞いて誰しもが共通してイメージ出来ることを『活動』と言います。
一方で『作業』とは?
同じく【料理】であっても、料理を行う人によって異なる価値観や意味づけがされるとそれは『作業』になります。
例えば何を思って【料理】をするか考えてみましょう。
・生きていくために料理する
・家族のために料理をするのが自分の役割
・料理をしている間は他のことを忘れられるから
・とにかく作ることが好きで楽しい
・自分が作ったものを人に食べてもらうのが嬉しいから
・栄養バランスを考えながら進めていくのが奥深くていい
これらのように、行う人独自の目的や意味、価値の置き方等が反映されると、この【料理】は『活動』から『作業』へ変わるわけです。
作業療法士の仕事はみんな同じにやればいい、ということはありません。
今まで生きてきた背景や思考を考慮し、その方に合った作業を提供する必要があります。
興味もないのにやらされる等ということはあってはならないのです。
まさに十人十色。これを忘れてはいけないのです。
皆さんが生活の中で大切にしている事はなんでしょうか?
自分にとっての『大切な作業』は何なのか、考えてみてはいかがでしょうか?
それではまた。
予期せぬことは起こります
皆さんおはようございます。
私は人と向き合う仕事、作業療法士をしているむーです。
今日は予期せぬことは起こります、ということで『もしもの話』を少々。
もしも今日で地球が終わったら。
もしも明日から性別が変わったら。
もしも突然人間から犬に変わってしまったら。
なんて、もしも○○だったら?と考える時って、案外非現実的なことが多いので楽観的に考えることが出来ますよね。
しかし、このもしもの話、もっと身近なことに置き換えてみると意外とシビアだったり。
1番大きな話でいくと、『もし今日が人生最後の日だったら』という話。
突然その日を迎えることもあれば、予兆があって徐々にその日を迎えることもありますよね。
自分の人生を振り返った時にどうだったか、、
・もっと○○しておけばよかった
・あの人に会っておけばよかった
・あの時○○していれば、未来は違ったかもしれない
・自分の人生の選択は正しかったのか
こんなようなことを回想するのではないでしょうか。
そんな後悔がないように、人生を振り返った時にあの時の自分はよかった、あれをやっている時は最高に楽しかったと少しでも思えるような人生を送りたいですよね。
たとえ自分は忘れてしまっても、周りの人の心にはその姿が残っているということも大いにあります。
作業療法士の仕事は、健康と幸福を作業を通して支援すること。人生を振り返って、一瞬でもよかったと思える瞬間が増えるような支援をしていきたいものです。
それではまた。
むしゃくしゃしたっていいじゃない
皆さんおはようございます。
私は人と向き合う仕事、作業療法士をしているむーです。
さて、今日は『むしゃくしゃしたっていいじゃない』というお話。
なんでこんな記事を朝から。と思いますよね。
私もたまには「何クソ!」と思うようなこともあるわけです。
誰しもむしゃくしゃすることってあると思うのです。そのむしゃくしゃをどう晴らしていくのか。発散方法が大事。
私は人に話を聞いてもらってスッキリするタイプなのですが、それって聞かされてる側って決していい思いはしないよな〜と反省もしています。
物に当たる!なんて方もいますが、破壊的でない方向で発散した方が、その発散行動を振り返った時に自分も後悔しないと思います。
発散方法のご提案として
・一人カラオケで歌いまくる
・思いを紙に書き出してみる
・なんでむしゃくしゃしているのか、冷静に整理してみる
・趣味など気分転換になることにとことん打ち込む
などが挙げられます。
衝動的に発散するけど破壊的にならないもの、冷静さを取り戻してみるもの、気を逸らすものがメインではないかと思います。
そしてむしゃくしゃの原因って元をたどってみると、大したことではなかったということもありますので、上手に物事を受け流すことも大事でしょう。
全てのことをまともに受け取っていると、人間の心は持ちません。
心の広さの問題ですなんて言いません。
いい意味のテキトー、適度な適当が自分を助けると思います。
皆さんの心が少しでも軽くなることを祈って、今日はこのへんで。
良いところ探しの産物とは
皆さんおはようございます。
私は人と向き合う仕事、作業療法士をしているむーです。
今日は前回の続きとして、『良いところ探しの産物とは』という話。
私が日々関わっているのは、認知症の方々です。
出来なくなっていくことや分からなくなっていくことを挙げていくと、きっと沢山出てきます。だからこそ私は、皆さんの良いところに着目したいのです。
人って、周りの人の嫌なところやダメなところって目につきやすいものですよね。
しかし必ず良いところがあります。必ずです。(またまた綺麗事を。と思う方もいると思いますが、一個人の実体験として読んでいただければ幸いです。)
日々良いところ探しを意識するようになると、それを自分の生活や今後の人生に取り入れようと思うようになりました。
私はまだ若造です。人生の先輩を相手にすることが殆どですので、人生経験のある方にしか分からない物事の見方、考え方を教わることがあります。
同世代からは学ぶことの出来ないことで溢れています。様々な方と接することで、自分の人間味も磨かれていきます。
何でも批判的にみるのではなく、まず一度受け止め、考え、自分の人生の色付けの1つとする。
これは良いところ探しの産物だと私は思っています。
人の良いところ探しは、
・自分の色以外の色を自分の中に取り込む
・自分磨きにもなる
ということです。
なかなか難しいです。でも見方次第で少しずつ何とか出来ていきます。私もそうでした。
それではまた。
良いところ探しのプロになる
皆さんおはようございます。
私は人と向き合う仕事、作業療法士をしているむーです。
今日は『良いところ探しのプロになる』という話。
作業療法って、人の生活、人生の全てに関わるものでして。
・生活の中での困り事を一緒に考えること
・その方の苦手なところや問題となるところの改善を目指すこと
・その方の良いところ(利点)をもっと伸ばすこと
などなど、色々なことにアプローチ出来るのです。
そんな中で私は、日々認知症の方と関わっているので、『良いところ探しのプロになろう』と決めています。
最近では世の中に知れ渡るようになってきましたが、認知症は治すことが出来ません。薬で進行を遅くすることまでしか出来ません。
出来ないことや分からないことが増えてきて当たり前です。
だからこそ、今できること、している事での良いところ探しをしています。
良いところ探しは、その後の自分に返ってくるものもあるのです。
この続きは次回に。